陸軍戦時名簿に書いてあることを調べてみた

『役種: 豫備役』 一番右上の欄

「現役」を二重取消線で抹消して「豫備役」と書いてある
幹部候補生は「予備役」の将校を教育するための制度なんで幹部候補生になると予備役になる
徴兵されたときは「現役」で幹部候補生の教育修了時に「予備役」になったと想像
ちなみに予備役つっても当時の戦況なんでほとんどがそのまま「引き続き応召」される

『兵種: 歩兵』 上のすぐ左側の欄
『出身別: 幹部候補生』 そのまた左の欄

歩兵で幹部候補生やったと記載されとる
ちなみに幹部候補生は徴兵の時に希望してその後試験に合格するとなれるそう
さらにその後幹部候補生は試験で甲種と乙種に分かれる
じーちゃんは甲種

『動員前ノ所属部隊: 歩兵第一補充隊』 上のすぐ左側の欄

たぶん東京で徴兵された兵士が所属したのが「歩兵第一補充隊」
で、ここから実際の部隊に転属される

『特業及特有ノ技能: 軽機』 「役種」欄の下の欄

技能や特技があると記載される欄
陸軍では機関銃のことらしいんで、機関銃を扱えたっちゅうことやと思われる
そんな話聞いたことなかったけどなぁ…

『官等級:
 昭一九.一ニ.ニ〇 二等兵
 昭ニ〇.九.一〇 軍曹』 中央のやや下の欄に縦書き

徴兵されたときに二等兵
で、幹部候補生に合格して教育修了して「引き続き応召」されたときの階級が軍曹
甲種幹部候補生は順調にいけば最低でも少尉に任官するんで
戦争が続いていれば少尉にはなっていたと思われる

<以下左側のごちゃごちゃ書いてあるところ>

『昭和十九年十二月二十日獨立歩兵第百十三大隊要員現役兵トシテ歩兵第一補充隊ニ入隊』
『昭和二十年一月三日派遣ノ為屯営出發』
『一月六日下関發』
『同日釜山上陸』
『一月八日鮮満国境通過』

鮮満国境はそのまま朝鮮と満州の国境のこと

『一月十日山海関通過』

山海関は満州と支那の境

『同日獨立歩兵第百十三大隊ニ転属』
『同日第一中隊ニ編入』

支那に入った日から記録上戦争に従事したことになる
なのでこの日から現場の部隊に「転属」ということらしい

『一月十四日江蘇省上海特別特別市奉賢懸南橋鎮着同地警備』

現在の「上海市奉賢区南橋鎮」だと思われる
上海の南の方
グーグルマップで調べるとまさにその場所に「南橋鎮人民政府」なる建物がある
駐屯地跡をそのまま戦後も使っとるのか?

『三月二十九日移駐ノタメ南橋鎮出発』

どーでもいいけどここだけ「発」が新字体
当時も新字体ってあったのね

『追加:三月三十一日上海特別市宝山懸羅店鎮着同地警備』

後から追加された部分で実際には紙の最後の方に書かれとる
時系列にするとここに該当

現在の「上海市上海宝山区羅店鎮」だと思われる
上海の北の方
グーグルマップで周りを見たけど大きめの店があるくらいで面白そうなものなし

『四月一日兵科幹部候補生ニ採用』
『同月同日上等兵ノ階級ヲ與フ』

徴兵時に志願した幹部候補生に合格したのがこの日
合格したので自動的に上等兵になる

『追加:四月十五日移駐ノ為羅店鎮出發』

これも少し上の記載と同じで後から追加された部分
実際には紙の最後の方に少し上の記載とセットで書かれとる
時系列にするとここに該当

『四月十八日江蘇省常熟懸福山鎮着同地警備』

現在の「江蘇省蘇州市常熟市福山鎮」と思われる
上海から長江を北西に進んだところ
なぜかこの記載は4月1日の記録より前に書いてある

『五月一日兵長ノ階級ヲ與フ』

上等兵になった1カ月後に兵長になる
幹部候補生は最初に階級を「与え」られその後は「進む」ホントは「兵長の階級に進む」が正しい

『五月二十日甲種幹部候補生ヲ命ズ』

幹部候補生になってしばらくした後で甲種と乙種に区分される
甲種は将校に、乙種は下士官が目標

『六月一日伍長ノ階級ニ進ム』

甲種幹部候補生は甲乙区分後だいたい1カ月で伍長になる

『六月十日教育ノタメ中支那下士官候補者隊ニ分遣』

幹部候補生の集合研修?のためにそれ専用の舞台に派遣されたっちゅう意味やと思われる

『七月二十六日軍曹ノ階級ニ進ム』

「七月二十六日」の部分は行間に吹き出しで無理やり挿入してあるんで
日付の字が潰れて読めんけど26日っぽく見える
でも26日付で異動ってあんまりないよな…

『八月三十日原隊復歸』

6月10日に中支那下士官候補者隊に勉強のため派遣されてたけど
8月末にもとの部隊に戻ってきたっちゅうことやと思われる

終戦は8月15日なんで一つ上とこの記録の間に戦争は終わっとることになる
が、もちろんそんな記載はない

『追加:八月三十日移駐ノ為福山鎮出發』
『追加:九月一日江蘇省呉懸蘇州着』

これも後から追加された記述
実際には最後に書いてあるけど時系列ではここになる
「江蘇省呉懸蘇州」は現在の「江蘇省蘇州市」と思われる
上海の西にある

『九月十日幹部候ホ生教育終了』

行間に無理やり後から挿入したみたいで「ホ」がカタカナ
下のの記録にあるとおり9月10日に軍役が終わったので
幹部候補生だったけど無理やり教育修了させた模様
ホントは軍曹のひとつ上の曹長になるまで続くはず

『九月十日現役満期除隊』
『九月十一日豫備役編入』

同時に最初の方に書いた通り幹部候補生の教育が終わったんで予備役になったと思われる

『九月十一日引続キ独立歩兵第百十三大隊ニ應召』
『同日第一中隊附』

予備役になったけどすぐに「応召」されて元と同じ中隊に戻った
どーてもええけどここの「独」は新字体

『昭和二十一年二月二日上海出帆』
『二月三日揚子江口通過』
『二月五日佐世保港上陸』

復員のための移動の記録

『同日善行證書ヲ附與ス』
『同日召集解除』
『同日復員完結』

「善行証書」は「お前よくがんばったで」みたいな内容が書いてある紙
小さい和紙でできたものらしい
なんせ終戦直後なんでホントにもらったかどうか怪しい場合もあるらしい
ちなみにウチでそんなもん見たことはない

<左側のやや中央寄りに従軍についてのまとめが書いてある>

『自昭和二十年一月十日至昭和二十年九月ニ日獨立歩兵第百十三大隊ニ在リテ大東亜戦役支那方面勤務に従事ス』

支那に入った日から数えるらしんで徴兵時の日付と最初の日がズレる
日本の降伏文書調印が9月2日なんで終わりはその日付になっとる